秘密結社セフィロトの木蔭☆グラマス日記帳

小説や日々のあれこれを書いていこうと思います。

マグヌム☆オプス −狭間の記憶− 第6節「モーテル②」

ゲストハウスに隣接するモーテルが、どうやらこの世界特有の現象として、出現したばかりの未知の建物であることがわかってきた。
 
彼は、先ほど聞こえた、モーテルのドアが閉まる音から、車の持ち主と思われるゲストハウスへの来客が、間違えてモーテルに入室してしまったのかも知れないとの、ゲストハウスのスタッフの男の言葉を聞き、モーテルの部屋を訪ねて回ることを考えていた。
 
その横で、モーテルの外観を眺めていたスタッフの男は、何となく不気味さを感じてきていた。
 
「あぁ……君、その人に用事があるの? じゃあ、ついでにウチの宿泊所はこっちだからって伝えておいてくれる? 僕は出迎える準備しなきゃいけないから……」
 
スタッフの男は彼にそう言うと、そそくさとゲストハウスに戻っていってしまった。
 
「へへ、せいぜい気をつけな」
 
玄関ドアから顔を覗かせていたナイフの男も、彼にそう言うとゲストハウスの中に姿を消し、玄関ドアが閉められた。
それを傍観していた彼だったが、まあ そのほうが都合がいいかと、モーテルへと向きなおった。
 
彼は先ほど、モーテルのドアが閉まる音は聞いたが、咄嗟だったため、どの部屋のドアが閉まったかまでは確認できなかった。
しかし、音がした方向から2階の部屋でないことは推測できた。
1階の6部屋のうちのどれか?
彼は、建物の中程に来たときに音を聞いたのを思い出し、とりあえず1階中央の2部屋、103号室と104号室あたりから当たることにした。
 
部屋番号は手前から奥に向かって昇順する形に並んでいた。
彼は、今いる位置から手前にあたる103号室に向かって歩きだした。モーテル内からは引き続き、物音の類は一切聞こえない。
彼が102号室の手前あたりに来たとき、不意に104号室のドアが “カチャ……” という静かな音を立ててわずかに開いた。
彼は一瞬、車の客が出てくるのかと思い、立ち止まった。
 
……しかし、少し待っても何の動きもない。
いや、それ以前にそもそも何か様子がおかしい。
ドアは開いたというよりは、レバーハンドルのドアノブが下げられてラッチボルトの部分が外れた分だけ開いた状態で静止している。
 
彼は妙な胸騒ぎがしてきた。
躊躇していると、静止していた104号室のドアがゆっくりと開いていき、建物より90°の角度で止まった。
ドアは右開きなため、彼の位置からは出入口を遮るように開いているが、そもそも人の気配自体を全く感じられなかった。そのためドアは自然とひとりでに開いたように見えた。
 
“104” という番号が書かれたドアを凝視したまま、不安を拭えずにいる彼は、だが、意を決して一歩を踏み出そうとした。
その瞬間、突如、彼の右方向に位置する102号室のドアが勢いよく開け放たれた!!
 
彼は反射的に102号室に目を向けた。薄暗く不気味な室内の様子が視界に入ったその刹那、突如、爆風に吹き飛ばされるかのように、何らかの見えない力によって102号室室内へと吸い寄せられ、声を上げる間もなく彼の体は102号室へと飲み込まれていった。
室内には椅子やガラス製のテーブルやスタンドライトなどがあるようだったが、彼の体と見えない力はそれら諸々の物を轟音とともに吹き飛ばし、最終的に彼は奥にあったベッドに背中から激しく打ちつけられ、衝撃で垂直に立ち上がったベッドもろとも奥の壁に激突したうえに、倒れてきたベッドの下敷きになる形でこの現象は収束した。
 
開け放たれたドアから差し込む外の光に照らされた室内は、それでもなお不自然に薄暗く、様々な破片や埃があたりに舞っていた。
 
先ほどとは打って変わって静寂の時が流れる。
 
完全に逆さになったベッドの下からは、彼の片腕と、わずかに頭がはみ出した状態だった。
彼は意識はあったが、何が起こったのか飲み込めず、しばらくその状態で意識の混濁が落ち着くのを待った。
やがて、自分がベッドの下敷きになっていると悟ると、ベッドの下から這いでてくる。
ベッドに強打した腰を押さえつつ、彼は仰向けに床に倒れ込み、大きく息を吐いた。
ベッドのマットレス側に打ちつけられたのが不幸中の幸いと言えるのか、それでも身体的ダメージと精神的ショックでやや混乱していた。彼は乱れた呼吸を整えながら、室内を見回した。
薄暗く、弱々しい光の中に埃が舞っているのがわかる。
そしてすぐにその光の出処である開け放たれた入口に視線がいった。
 
ここから出なければ……
 
考えるのは後だ。とにかく、明らかにヤバイこの場所から一刻も早く離れなければーー彼はそう考え、まだ少しショック状態にある身体を奮い立たせて起きあがる。
衝撃の感覚が残る重い体を引きずるようにして、室内の状況を確認しつつ、警戒しながら入口に向かって左側の壁に沿って歩いていく。
転がる椅子や、砕け散ったテーブルのガラスの破片が散乱する床を横目に、壁を這うように進んでいると、向かい側にある、ドアのないバスルームの入口に目がいく。
そこはより一層暗く、またその闇が蠢いているかのようにも感じた。
彼は考えずに早足に急ぎ、入口から外に出ようとしたその瞬間、ドアがひとりでに勢いよく閉まった!!
 
「…くっそッ やっぱそうくるかッ」
 
バーハンドルのドアノブをつかみ、ドアを開けようと試みるが、ハンドルは上下するものの、ドア自体は一向に開く気配がない。
ハンドルを下げつつ体当するがびくともしない。
 
その時、バスルームの奥から何かが破壊されるような大きな物音が聞こえ、それに呼応するかのように入口から見える洗面台のライトが数度点滅し、消える。
 
彼は破壊の衝撃音に気圧される形で後退り、壁を背にして身構える。そしてバスルーム入口を凝視しながら固まった。
 
何かいる……
 
暗がりでも洗面台や鏡の輪郭はうかがえた。
そこを小さく黒い煙のような玉が、いくつか舞うようにかすめるのが見えた気がした。
 
彼はゆっくりと視線を動かし、今いる部屋の中の様子を見渡した。
先ほどのひっくり返ったベッドの奥の壁に窓がある。両サイドのカーテンが半分ほど開かれ、そこから覗く、閉じられたレースカーテン越しに、外の荒野が確認できた。
本来ならレースカーテンを透かして陽光が部屋の内部を照らし出すはずだが、この部屋の闇はそれに抗っていた。
 
その時、壁越しにでも明確に伝わるほどのけたたましい足音を立てながら、バスルームの奥からその入口に向かって、何者かの気配が突進してくるのがわかった。
 
その迅雷の如き激しい足音が聞こえてきた瞬間、彼もほぼ同時に窓に向かって走り出す。
 
直後、バスルームの入口に人型の黒い影が現れた!!
影は突進の勢いを殺すため、その片手を入口の枠木に打ちつけた。だが、先ほどの激しさとは違い、その枠木にはダメージがなく衝撃音も発生していないようだった。
 
彼は走りながら、その黒い人影を一瞬横目に捉える。彼はそのまま床に転がる木製の椅子を手にして、なおも窓へ向かって突っ走った。そして、逆さのベッドを踏み越えて跳躍し、椅子を盾にしてガラス窓の片側を目がけて突っ込んだ!!
 
ガラスの割れる大きな音とともに、彼の体がモーテルの外へ飛び出す。
盾にしていた椅子のお陰で地面への直撃を免れるが、その勢いのまま椅子から放り出され、地面を何度か滑り転がった。
 
衝撃で体に痛みが走ったが意に返してる暇もなく、彼はすぐさま体を起こし、今飛び出してきた窓に振り返った。
 
ガラス窓の片側がフレームを残して破られ、引き裂かれたレースカーテンが一点を残してかろうじてぶら下がっていた。
そこから、なお不自然に薄暗い室内がわずかに確認できる。
やがて、そんな暗がりの中でもはっきりと識別できるような、さらなる漆黒の靄のようなものが、部屋の奥からゆっくりと窓に近づいてくるのがわかった。
 
その瞬間、彼は再び猛然と走り出した!!
急いで避難しようと、モーテルに隣接するゲストハウスへと向かう。
おそらく、あの漆黒の靄は、先ほど見た人影がまとった瘴気のようなものだろう。それがなお窓枠に近づいてきていた。
できればこのモーテルから一刻も早く、果てしなく遠ざかりたいところだったが、この何もない広大な荒野の地では、どこへ向かおうとも心許ない印象しか抱けなかった。
 
彼はゲストハウスの裏手にあるウッドデッキのバルコニーに飛び乗り、ガラス張りのスライドドアへ駆け寄って開けようとしたが、鍵がかかっていて開かなかった。 
室内には、バーカウンターの相変わらずの定位置に、スタッフの男とナイフの男がいた。
 
「おい、開けてくれ!」
 
彼は軽くガラスドアを叩きながら懇願した。
スタッフの男とナイフの男は、彼を一瞥すると、驚いたような表情で顔を見合わせた。
すぐにスタッフの男が小走りで駆け寄ってきて、クレセント錠を外してガラスドアを開ける。
彼は部屋に飛び込むと、すぐさまガラスドアを閉め、錠をかけて数歩後退りした。
そして、室内のその位置からは見えなくとも、モーテルの方角に視線をやって警戒せらずにはいられなかった。
ナイフの男も何事かと思って席を立つ。
スタッフの男が何があったのか尋ねると、彼は呼吸を荒くしたままスタッフの男に言った。
 
「ここシャッターとか付いてないのか? フロントの玄関も鍵を掛けたほうがいい、というか侵入できる箇所全部だ」
「い、いや、シャッターは付いてるけど……一体どしたの!? 何事!?」
 
その時、スタッフの男は彼がすり傷だらけで全身砂まみれなのに気づいた。二の腕には小さなガラス片らしきものが突き刺さり、体についた砂に血が滲んでいた。
 
「うわぁッ!! ちょっと、何それ!? 血ぃ出てるよ!! 待って!! どうすればいいのこれ!? 何か!! なんか止めるやつ!! 止めるやつー!!」
 
スタッフの男が狼狽えながらそう言い、厨房の奥へと消えていった。
彼は、スタッフの男の言葉で自分の二の腕の状態に気がついた。急に我に返ったように、体がショックからの疲労を感じ始め、彼は呆然として立ち尽くしたまま息を切らせ、そして考えた。
 
さっきのは一体……? 明らかに人間じゃなかった……姿は確認することはできなかったが……
いや、見た!!
確か、脱出するために走り始めた時、一瞬バスルーム入口を視界に捉えた。
あの時、現れた影……黒い靄のようなものを全身にまとっていたが、手脚が確認できてかろうじて人の形をしていたのが判別できた……だが顔の部分……顔だけはその輪郭が確認できた……顔があった!!
顔もやはり不自然に暗く影っていたが、目鼻口があるのを見た。極めて無表情ではあったが人の顔をしていた。男女の別までは判断できず中性的だった気もする。
そして、あの髪の毛……両の側頭部の髪が大きく不自然にカールしていて、まるで西洋の悪魔の頭に生えている山羊の角のようだった……
 
「……悪……魔?……嘘だろ? そんなのいるのか……?」
 
彼はぼそっと小声でそうつぶやくと、おもむろに振り返ってバーカウンターへ歩いていき、カウンターを背にしてうなだれるように席に座った。
 
ナイフの男はヘラヘラした感じでバーカウンターの席に再び着席し、小さめのまな板の上でくるみの殻をナイフで開いて中身を取りだし、口に放り込む。
彼は、後ろを振り返って奥にいるであろうスタッフの男に呼びかける。
 
「悪いけど、えっと……従業員の……人……シャッターがあるんなら今すぐ……」
 
……いや……待て、相手は人間じゃない、俺はモーテルの中にふっ飛ばされたんだ……アイツがもし悪魔的な何かだったら……
 
「へへ、何に怯えてるのか知らないが、少しは落ち着いたらどうだ? カッコ悪いぜ」
 
ナイフの男が、2席向こうに座る彼に言う。
 
(……ああいうヤツは壁とかすり抜けられるのか? ならシャッター閉めたら、逆に一緒に閉じ込められるイメージが……どんなルールで動ける存在なんだアレは?)
 
彼はナイフの男の言葉は耳に入らず、考察に集中していた。
 
「こう考えるんだよ、目標への到達や成就を誇りに思えんのは、そこに至るまでに困難があればこそだってな」とナイフの男。
 
(アレは明らかに待ち伏せて……はなから俺を標的に? それとも宿泊施設のある、ここに罠を張って、来る者なら誰でもよかったのか?)
 
「せっかちと短気はよくねぇ。安易な人生からは、価値あるものは得られないってことだよ」
 
(くそっ、さっき、あのどちらかの道を進んでいれば……戻ったのは判断ミスだったか? 表に停まってたあの車……あれも俺を誘い込むための……?)
 
額に手をやりながら、彼は眉をひそめた。
 
「言うだろ、試練てのは乗り越えられる者にしか与えられないものだ……」
と、ナイフの男は彼を見て、彼が全く話を聞いていなかったのを悟ると、怒りを滲ませ、ナイフの切っ先を彼のほうに向けて怒鳴るように言う。
「おいッ! 聞いてるのかッ!?」
 
彼は席から立ち上がってカウンター側に向き直り、奥にいるはずのスタッフの男に呼びかける。
 
「なあ、ちょっといいか?」
 
その時……
 
「おいッ!!!!」
 
ナイフの男が激昂し、思いっきりナイフをバーカウンターに突き立て、そして彼に詰め寄り、指を差しながら怒鳴り散らす。
 
「この俺を無視するのはやめろッ!! さっきからずっとお前に話してるんだぞッ!! 俺が今してる話はなあ……!!」
 
ナイフの男がそこまで言ったとき、彼は男の肩を強く押して突き戻し、男を元いた席に倒れ込むように強制的に座らせた。
間髪入れず彼は、バーカウンターに突き立てられていたナイフを素早く手に取り、ナイフの切っ先を、椅子に座るナイフの男の太腿に向けた。
 
「……えッ?」
 
一瞬のことに唖然とするナイフの男。
彼は、すかさずナイフを振り下ろす!!
瞬間、彼はナイフを回転させて逆さに持ち直し、男の太腿に、持ち手の柄尻のほうを突き立てた。
 
「なァァァァァーーーッはっはっはっはぁぁぁ〜〜〜ッ!!!!」
 
ナイフの男は、悲鳴とも泣き声とも笑い声ともつかない珍妙な叫び声をあげて椅子から転げ落ち、大股を広げたまま床に尻もちをついてワナワナする。ついでに失禁した。
 
「はぁ……悪かったよ、これで満足か?」
 
彼はそう言って、ナイフの男に非礼を詫びた。
 
「刺しやがったッ!!!! コイツ、マジで俺を刺しやがったよォッ!!!!」
 
泣きそうな声で喚くナイフの男。
 
「よく見ろ、刺しちゃいないよ」
 
そう言うと彼は、血のついてないナイフの刃を男に示し、それをバーカウンターの上に投げ置いた。
 
「お、お前何しやがる! 俺はお前がこの世界の初心者みたいだからアドバイスをしてやってただけだろぉ!」
 
そこに物音を聞きつけたスタッフの男が、ピンセットと消毒液の小さなボトルだけを手に持って、厨房の入口から姿を現す。
 
「え? なになに? どうかしたの?」
「いや、常連と新規のちょっとした行き違いだ」
 
彼はスタッフの男に振り返ってそう言った。
スタッフの男は、床にへたり込んでぐったりと疲れた様子のナイフの男を目撃する。
 
「はぁ〜、今日は何だか、いろんなことが起きすぎだよ……何だかもう帰りたい……」
「……わかるよ」と彼。
「君は幽霊を見たような顔して2階から戻ったかと思えば、あちこち駆け回って傷だらけで帰ってくるし、隣には見たこともないモーテルがいつの間にか建ってるし、ドレッドは床でオシッコ漏らしながら放心状態だし……」
「…………ドレッド?」
 
彼はそれを聞いて、目の前で両膝に両腕をあずけてうなだれて座っている男のネームプレートに目をやる。
 
“Dread(ドレッド)”
 
今やナイフの男のネームプレートは、完全に文字が判別できるほどにすり傷はわずかなものになっていた。
彼はスタッフの男のネームプレートも確認した。
 
“Worry(ウォーリー)”
 
スタッフの男のネームプレートもまた、文字が完全に判別できた。
そうしてると、スタッフの男が話を続けた。
 
「今日は車で遠くから来てくれたお客さんもいるけどさぁ。ドレッド以外にお客さんが同時に2人も来るなんて珍しいし、本来ならありがたいんだけど、今日という日はなんだかなぁ……」
 
その言葉を聞いて、彼ははたと思い出す。
 
「ハッ!! そうだ!! 車の客!! あのモーテルにいた……」
「え?」
「信じられないけど、あそこにいたのはバケモノだった……あのモーテルはヤバイ、罠だ。どう説明すればいいか迷うけど……全身真っ黒な……悪魔のようなツラした何かがあそこにいた」
「え? え?」
「俺はそいつに襲われて、それでここまで逃げてきて……」
「ま、待って!待って! ……車で来たお客さんなら、もうとっくにここに来てるよ」
「…………え?」
 
彼は一瞬何を言われたのかわからなかったが、あらためてスタッフの男に確認する。
 
「……え? なに? なんて言った?」
「さっき君とモーテルを見に行って、戻ってきたときに、もう中にいたんだよ。すれ違ったのか、お出迎えできずに申し訳なくって……ああでも、君にもすぐに伝えに行けばよかったね。飲み物を注文されてたので……悪かったよ」
「……………………」
 
彼は、リビングエリアのほうにゆっくりと振り向いた。
 
リビングのコの字に配置されたソファのうち、こちらに背を向けるように設置されているソファに、男性と思われる1人の人物が座っているのが見えた。
 
彼はモーテルに現れたあの存在のことを想起して、一瞬で恐怖と警戒心がよみがえり、後退るが、バーカウンターが背後にあるのでそこで立ち止まった。
 
(こ……こいつはッ!?)
 
タバコか何かを吸っているのか、ソファに座る男のところから、煙がゆっくりとくゆり、立ちのぼる。
 
彼は立ちすくみ、なんとか恐怖を抑えつつ、次の一手を必死に考えようとするが、詰みの状態が心に浮かぶばかりだった。
 
 
To Be Continued ➠