秘密結社セフィロトの木蔭☆グラマス日記帳

小説や日々のあれこれを書いていこうと思います。

マグヌム☆オプス −狭間の記憶− 第4節「ゲストハウス③」

鏡のなかに謎の自分を見たことで、だいぶ混乱をきたした彼。
疲弊して仮眠を取ることにした彼は、開け放たれたドア越しに見える階段を、眠りに至るまでのまどろみの中でヴィジョンとして視ていた。
 
その階段を上がってくる者がある。
トン……トン……という足音とともに、徐々にその気配が1階から近づいてくるのを感じる。
足音は1人分。
姿は見えないが、体重が軽そうな足音や何となくの気配から、彼はその存在が1階にいた2人とは違う人物であるのを感じていた。
 
すると、ヴィジョンが階段出口正面へと切り替わった。視点は階段出口から2mほど離れたところで、高さは床とほぼ同じ。まだ、その者の姿は見えなかったが、足音はそのまま階段を上がってくる。
そして、また1段上がったとき、その者の黒髪の頭部が現れた。
一歩一歩上がるごとに徐々にその姿が見えてくる。
 
ーー女だ。
 
腰まで伸びた黒髪ストレート、明るい若葉色のワンピースを着た若い女と思しき人物が、一歩一歩階段を上がってくる。
奇妙なことに、その顔は不自然に陰っていて、どのような面立ちをしているのか窺い知ることができなかった。
 
彼は自分が寝ている場所からでは明らかに見えるはずのない視点の映像を意識に捉えながらもーー夢の中で夢と自覚できないのと同様ーー近づいてくる女にも、このヴィジョンにも、さして疑念を抱くこともなく、そのまま まどろみの中で寛いでいた。
 
再びヴィジョンが切り替わり、彼が今寝ている本来の場所と姿勢からの視点に戻った。
彼は足をドア側に向けて寝ているため、足元のほうに開け放たれたドアがある。
そこから見える廊下ーー入口の脇から、女の足が一歩、踏みだしてきた。裸足だった。
さらにもう一方の足が歩みだしてきて、足を揃えて立ち止まった。
彼の意識は眠気の中でボヤケたままでいる。
 
(……ぅん?……何?……誰?)
 
ヴィジョンの視界にあるのは、女の両足とワンピースの裾。開け放たれた部屋の入口で立ち尽くしているその両足の爪先は、部屋の中を……というよりは明らかに彼を意識した方向に向いて立っていた。
 
(……ぉぃ……この部屋は見ての通り使用中だぁ……早く向こう行け……)
 
すると、女の足が部屋の中に一歩踏み入った。
 
(…………!)
 
この時、彼は始めて胸騒ぎを覚えた。
ヴィジョンの中で一歩一歩近づいてくる女の足。
彼の胸騒ぎは、より心臓のあたりを中心とした不快感に変わっていた。
ひどく不気味な感覚だった。実体はないはずなのに質量が感じられるような、ドス黒い何らかのエネルギーが、心臓に纏わりついてくるような感覚に襲われ、強い不安感と恐怖心が湧き上がってきたのだ。
視線のヴィジョンは女の忍び寄る足から、徐々に上半身のほうを見上げていった。おぼろげな視界の中のその人物は、確かに女性のようだが、ヴィジョンはその胸元で止まって顔や表情には達しなかった。
 
(……何だ? 誰だ?)
 
女が近づくにつれ、心臓のあたりの感覚がさらにドス黒く、硬く重い感覚となる気がした。
……何かマズイ……
だが彼の心臓以外の感覚はいまだ心地よく、彼はいまだにまどろみに身を委ねていた。この何者かの接近が、寝苦しさからくるただの夢なら……わざわざ起き上がって大げさに確認するのも間抜けかな? 彼はそんなふうに考えていた。
 
「……ねぇ……」
 
女が声を発した。
 
(…………!)
「……まだ寝てるの?」
(……………………)
「……心配……しないで……」
(……あ? なんて言った?)
「……いつもいるわ……」
 
すると女は、横向きに寝る彼の背後に寝そべってきて、彼の背中にピッタリとくっついてきた。そして、両腕を彼の両脇から前に回して軽く抱きつき、彼の耳元に先ほどの続きの言葉を語りかける。
 
{{{ あなたのそばに!}}}
 
女は、それまでの穏やかな物腰とはまるで違う、心の奥底の恐怖を掻き立てるようなおぞましい声色を発した。
その瞬間、彼のみぞおちと首の後ろから、強烈な寒気とドス黒い悪意に満ちた何かが入り込んできて、心臓と延髄を掴まれるような、そんな感覚に襲われた。
それはゾッとする怖気と吐き気をともない、重みと痛みと恐怖がない交ぜになったような、非常に不快極まりない感覚だった。
 
「おいッ!!!! 何だッ!!!! おま……ッ!!」
 
彼は飛び起き、あたりを見回す。
だが……
そこに女はいなかった。
明かり取りの窓から差す光の中に室内の埃がわずかに舞っている。
呆然とする。
 
「……今の……何だ……?」
 
彼は息を切らせながらつぶやいた。
冷や汗をかいたような感覚があるが、感覚だけだった。汗は流れていない。
ふと入口に目をやると、そこには閉じられたままのドアがある。入った時にした施錠もちゃんとされている。先ほどまでのヴィジョンの中ではドアは開け放たれていた。
 
「……やっぱり夢か?……いや……でも……」
 
彼は、いまだドス黒い感覚の余韻が残る心臓あたりの胸を手で抑え、次いで同じく不快感の残る首の後ろをさすった。
 
 
リビング&バーのある1階に、ややフラつきながら階段を下りてくる彼。
バーカウンターの席に座る例のナイフの男が、そんな彼を目で追いながらニヤニヤしている。
 
「へっへっへ、よぉ、兄ちゃん、よく眠れたかい?」
 
彼はその言葉を無視してバーカウンターまで行くと、姿の見えないスタッフの男を呼んだ。
彼は中身の入っていないショルダーバッグをカウンター上に置き、両手をカウンターに預けて息を整える。
 
「ずいぶん顔色が悪いようだが、大丈夫か?」
 
なおも薄笑いを浮かべながら尋ねるナイフの男。
なおも無視をしてスタッフの男を呼ぶ彼。
すると、ようやくスタッフの男が奥の部屋から出てきた。
 
「あぁ、ごめん、ちょっと奥にいて……どうしたの? 何か飲むかい?」
「……あぁ……じゃあ、何かもらうよ」と息を整えながら言う。
「カクテルはどう?」
「いや……酒は飲めないんだ……水、水でいいよ」
「あぁ、はい、お水ね」
 
水の入ったグラスがカウンターに置かれると、彼はそれを手に取り一息ついた。
 
「へへ、お前、酒も飲めないのか? お子ちゃまだな」
 
ナイフの男を相変わらず無視して、グラスの水を飲み干すと、彼はスタッフの男に尋ねた。
 
「訊きたいんだけど、2階を利用してるのは本当に俺だけか?」
「え? ああ、そうだけど? 今日はもう君の貸し切りみたいなものだよ」
「貸し切り?」
 
そう聞いて彼は、バーカウンターの席に座るナイフの男を横目でチラッと見る。
その視線に気づいた男が、無言の問いかけを察して答える。
 
「俺は単に飲み食いしに来ただけだ。2階に行って寝込みを襲ったりはしねえから安心しな」
「………………」
 
彼はいまだに胸のあたりに強烈な恐怖の痕跡を感じていた。夢にしては感覚がリアルすぎる。
あの女のことを尋ねようとも思ったが、起き上がってからの部屋の様子ーー入口ドアの開閉ーーの矛盾から考えれば、やはり夢と考えるのが妥当だ。だから女のことを尋ねるのを躊躇した。
彼はあくまで論理的に考えることに努めたが、この時は、そもそもこの世界が奇妙に変化をし続ける場であるという事実を、その論理には組み込んではいなかった。
考え込んでいる彼に、スタッフの男が声をかける。
 
「ああでも、そうだ。つい今しがた、部屋が空いてるかどうかの確認の電話があったから、一応そのお客が1人、あとで来ると思うけど……」
「あぁ……そうか……いや、それは関係ないな」
「何だか具合が悪そうだけど、大丈夫?」
 
スタッフの男が彼の様子を察して尋ねた。
 
「いやぁ……その……」
 
彼は2階でのことを訊こうにも、どう訊いたらいいのか迷っていた。
その時、ふとスタッフの男の胸にあるネームプレートに目がいった。
 
“Wo……”
 
ネームプレートは相変わらず傷だらけで擦り切れているが、先ほどと違って、一部の傷がやや薄れ、わずかに文字が見えた。
 
「そうだぜ、さっきから何を狼狽えてんだ? 2階で幽霊でも見ちまったのか?」
「……幽霊?」
 
そう言うナイフの男は、相変わらず薄笑いを浮かべていた。
彼は、そんなナイフの男のネームプレートにも気がついた。
 
“Dr……”
 
こちらも、わずかに文字が読みとれた。
彼は少しネームプレートの文字のことを思案してから、そのことは置いておくことにして、スタッフの男に尋ねた。
 
「この店には幽霊がでる噂でもあるのか?」
 
ナイフの男は自分が振った話題なのに、それを無視して彼がスタッフの男に話題の回答を求めたことが気に食わなかったのか、表情をムッとさせた。
 
「ハハ、いや、まさか……ここはそもそもお客自体ほとんど来ないし、幽霊だって出ようがないでしょ」
 
スタッフの男はそう答えた。
それが幽霊がでない根拠になってるのかは不明だが、とにかく彼はこの店から立ち去ることを決めた。
その時、最初の頃、荒野の果てに見たあの藍色に染まる歪んだ空のことを思い出し、あれが何なのかスタッフの男に尋ねた。
しかしスタッフの男は、
 
「いやぁ、知らないけど……そんなのあったっけ?」
 
既視感を覚える返答に、彼はすぐに気持ちを切り替えた。
 
「ああ、そうか、わかった、お世話になったね。俺はもう行くことにするよ」
「ああ、そう? もっと……何か飲んでいけばいいのに……」
 
彼はショルダーバッグを手にしながら玄関に向かって歩き出す。
 
「せいぜい気をつけなよ、何もない荒れ地だからって油断してると……」
 
ナイフの男がそう言うと、持っていたナイフをイラ立ち任せにカウンター上に力強く突き立てた!
スタッフの男は不意に繰り出されたナイフの衝撃音に、飛び上がらんばかりに驚いた。
彼は玄関でドアを半分ほど開けたところで動きを止めた。
ナイフの男が続ける。
 
「姿を潜ませているヤバイのが、いつどこで飛びだして襲ってくるか、わからねえからよ」
 
そんな言葉を聞いて、彼はナイフの男に振り返り、わずかな時、男を見すえた。
ナイフの男は彼を見つめて鼻で笑った。
彼はあらためて振り返り、そしてドアを閉めて店を出ていった。

 

To Be Continued ➠