秘密結社セフィロトの木蔭☆グラマス日記帳

小説や日々のあれこれを書いていこうと思います。

マグヌム☆オプス −狭間の記憶− 第5節「モーテル①」

彼はゲストハウスを離れることにした。
行き先のあてがあるわけではないが、わずかな間に奇怪な出来事が頻発するような物件にいるよりはマシだろうと、例の道を先に進むことにした。

ゲストハウスを出ると、外の様子の違和感にすぐに立ち止まる。
ゲストハウスに入る前と何かが違う。
彼はそれが、建物と道の間にあるアプローチ部分が、褐色系のカラーコンクリートで舗装されているせいだとすぐに気づく。モーテルの前のその部分には駐車場スペースを示すための白線まで引かれていた。
コンクリートはすでに乾ききっているどころか、タイヤ痕などの擦り傷や色褪せ具合などの経年劣化と思える状態さえ確認できる。
まるでゲストハウスに入る前と出た後で、タイムスリップか微妙にズレた並行世界に来てしまったかような現象だが、彼は相変わらずこの現象にはあまり関心を示さず、舗装された地面の上を通って例の無数の轍でできた大道に復帰した。

道の先を見ると、例の藍色の歪んだ空が、以前より遥かに大きく見えた。というよりは近づいているように見えた。
そのせいなのか、そこにある大気の濃度が、以前よりもやや濃くなっているかのような、水に垂らした絵の具が渦巻いているかのようにも見えた。

彼が道沿いに視線をたどって、その行く先に目をやると、だいぶ先の方ではあるが、道はその歪んだ空間の中に消えているようにも見えた。
なぜだか今や歪みは空だけではなく地上にも達しているらしい。
彼は、あの空間の先に何かあるのでは? と考え、そこに向かって進むことにした。

今度の足取りに気だるさはなかった。むしろ焦りの見える落ち着きのない早足で道を進んでいった。
あたりをキョロキョロと伺い、警戒する。たまに振り返って、モーテルとゲストハウスがあるのも確認した。

だいぶ歩いて、やがて彼は、道がY字にカーブを描いて分かれている箇所にさしかかった。
左の道は例の歪みのほうへ、右の道は遠くに見える山の稜線へ向かって荒野をさらに突き進んでいた。
彼は右の道のほうに目をやる。右の道の空は雲ひとつなく爽やかに澄んでいた。
次いで左の道に目をやる。まだ少し道の先ではあるが、例の歪みがより色濃く見える。
しかし近づいてわかったが、その歪みはただ淀んだ藍色というわけではなく、歪みの背後からところどころ輝く光が木漏れ日のように微かに見え隠れしているようだった。

彼はしばらくの間、双方の道の先を交互に観察していた。
そして左の道に向かって、ようやく足を一歩踏み出しかけたところで、その足を止めた。

「……………………」

足が進まない。左の道を、行く気になれない。
彼は踏み出そうとした足を戻し、道の先にある歪みを見つめながら、その場にしばらく立ち尽くした。

「……何か……違うな……」

彼は胸のなかにある感覚に神経を研ぎ澄ました。
恐怖しているわけではないらしい。だが、とてもモヤモヤする。この先に進んでいったと想定したときに感じられる “気分” が非常に飽和的で億劫なものに思えた。

あの歪みの中に進んだとしても、何もない……
いや、例えそうでなくとも、進むべき次の一手としての選択肢を見誤っているような気がする……

「……こっちじゃないのか……?」

彼は右の道に視線を移した。
遥か彼方にまで伸びる道。その先には、それほど背の高くない山の稜線が地平に横たわっている。

彼はしばらく見つめながら、自分の感覚と感情の声に耳を澄ませた。

「……クソっ……無理だ、こっちも……何か違う……」

その時、彼はふと思い立った。
“引き返す” という選択肢が浮かんだのだ。
彼はその選択肢を選んだときの感覚と感情を、心を鎮めて感じてみた。

「……戻るのかよ……」

いま取るべき道において、引き返すという選択肢が唯一、彼の中でしっくりきた。もう、二股に分かれた道のどちらにも行く気にはなれない。
“引き返す” とはゲストハウスに戻れということなのだろうか? わからないが、今は来た道を戻るしかなさそうだと感じた。ゲストハウスには人がいる。まだもっと情報を集めるべきだったのか?
彼は自分がどんな目的を持っているのか……それどころか、そもそも目的自体があるのか、明確に認識もしていないはずだった。だが、なぜか “事態を先に進める” ということに関しては迷いがなかった。


そして、彼は再び歩きに歩いて、モーテルとその先にゲストハウスが建つ場所まで戻ってきた。

彼はやれやれといった感じで一息ついた。
ふと、ゲストハウスの前に1台の車が停まっているのが見えた。

「……あれは?」

その時、彼はゲストハウスのスタッフの男が、空き部屋の確認の電話があったと言っていたのを思い出した。あとから客が1人来ると。

 「車か……」

ひょっとしてこれがここに戻ってくることになった理由か?
彼は少し足早になり、ゲストハウスへと向かって歩いた。

そして、彼がモーテルの前の道まで来てさらに歩いている時、急にバタンッというドアの閉まる音がした。
彼は反射的に立ち止まって、モーテルのほうに振り向く。
モーテルは2階建てで、それぞれの階に6ルームずつある。全ての部屋のドアが閉まっており、また、動く人影やその後の物音も聞こえない。

この場に戻ったときから、モーテルやゲストハウスの全景が視界に入っていたはずで、ずっと人影は見かけなかったはず……
しかし、車を発見してから常に注意は車に向いていたので見落としたのかもしれない。ひょっとして、今のは車の持ち主だろうか?
彼はそんな風にあれこれ考えた。

いずれにしても、彼は一旦ゲストハウスに行って、スタッフの男にいろいろ尋ねようと思い、あらためてゲストハウスへと歩みを進めた。

ゲストハウス前まで来ると、玄関前にはシルバーカラーのオープンカーが1台停められていた。
車種はポルシェのようだが、車に詳しくない彼は、ただ何となく高そうなオープンカーだなとしか思わなかった。


ゲストハウスに戻ってきた彼が玄関から入ってくると、相変わらずバーカウンター内に立つスタッフの男と、席に座るナイフの男がいた。
2人の男が彼のほうを振り向く。

「あれ? お客さん、どうしたの?」

バーカウンターのもとまで赴いた彼は、早々に車の持ち主がいないかリビングを見渡すが、そこには誰もいなかった。
ナイフの男が何やら咀嚼しながらニヤついて彼に話しかけてきた。

「なんだ兄ちゃん、もうヘバって帰ってきたのか? だらしねえな。それともまた幽霊にでも出くわしたのかい?」

ナイフの男はからかうように言ったが、彼は無視してスタッフの男に話しかけた。

「ちょっと訊きたいんだけど。表に停まってる車の持ち主と話たいんだけど、そのお客って今どこにいる? さっき隣のモーテルの部屋に入っていった人がいたけど、あの人がそうなのか?」

スタッフの男は彼の問いに不思議そうに答えた。

「……え? 隣のモーテルって?」
「隣にあるモーテルだよ。あれもアンタが経営してるんだろ? 俺がここを出ていく前に言ってたろ、客が1人来るって。さっきモーテルの部屋に入っていく人がいたけど、その人が車の持ち主なのか?」

スタッフの男とナイフの男は不思議そうに顔を見合わせた。
そして、スタッフの男はやや戸惑い気味に言った。

「いやぁ、ごめん、さっきから何のことだがよくわからないけど……ウチの宿泊スペースは2階だけだし、モーテルなんて隣には建ってないよ」

彼はスタッフの男の言ってることが理解不能でしばらく固まった。

「…………はぁ?」
「確かにお客は来る予定だけど、まだ来てないし……ああ、でも車で来るとは言ってたよ、なんでわかったの?」

彼は、からかわれているのかと怪訝な顔でスタッフの男とナイフの男に交互に視線をやったが、特にナイフの男も訝しげな顔で彼を凝視しているのを見て、ジョークではないらしいことを察した。

その時、彼はまた何気に2人のネームプレートに目がいった。

“Wor……”
“Dre……”

2人のネームプレートはもう一文字判別できるくらいに傷が薄くなっていた。

「あ、あの……そのお客ならそのうち来るはずだから、何か飲みながらでも待ってるかい?」

スタッフの男がそう言うと、彼はスタッフの男に鋭い視線を送った。


ゲストハウスの玄関前。
勢いよくドアが開け放たれ、彼がスタッフの男の首根っこをつかんで、引きずり出さんばかりの勢いで外に出てきた。

「あれは何だ?」

彼はそう言って、ゲストハウスの横にわずかに間を空けて建っているモーテルを、スタッフの男に示す。
痛がり怯えていたスタッフの男は、そこにモーテルが建っているのを目撃して、あっさり素に戻った。

「……あぁれぇ? どういうこと? いつの間にこんなの建ってたの?」

間抜けな声でそう言うスタッフの男に、彼はさらに玄関前に停められているオープンカーを示した。

「えっ!? お客さん、もう来てたの? ……じゃあ、あのモーテルをウチの宿泊施設と間違えて、先に部屋に入っちゃたのかな?」
「じゃ、あのモーテルには鍵がついてないわけだ。ずいぶん不用心な宿泊所だな」
「まあ、この辺はほとんど人が来ないからね」
「そういうことを言ってんじゃねえ……」

玄関ドアからナイフの男も顔を出して、モーテルを確認する。

「おお、こりゃすげぇ……」

そうつぶやくナイフの男へと振り返る彼とスタッフの男。
ナイフの男は言葉を続けた。

「この世界はいろいろ流動的で、いろんなものが出たり消えたりするがな、この辺りでこんな大きな変化がわずかな間に起きるなんてよ、まあずいぶんと珍しいな」
「この世界……」彼は視線を落として独り言のようにつぶやく。
「お前が現れたと同時にこのモーテルも現れた……なんかお前と関係があるんじゃないのか?」

彼はあらためてモーテルに視線を戻した。
気のせいか、再び空模様がうっすら灰色に染まってきたような気がする。


To Be Continued ➠