秘密結社セフィロトの木蔭☆グラマス日記帳

小説や日々のあれこれを書いていこうと思います。

マグヌム☆オプス −狭間の記憶− 第6節「モーテル②」

ゲストハウスに隣接するモーテルが、どうやらこの世界特有の現象として、出現したばかりの未知の建物であることがわかってきた。
 
彼は、先ほど聞こえた、モーテルのドアが閉まる音から、車の持ち主と思われるゲストハウスへの来客が、間違えてモーテルに入室してしまったのかも知れないとの、ゲストハウスのスタッフの男の言葉を聞き、モーテルの部屋を訪ねて回ることを考えていた。
 
その横で、モーテルの外観を眺めていたスタッフの男は、何となく不気味さを感じてきていた。
 
「あぁ……君、その人に用事があるの? じゃあ、ついでにウチの宿泊所はこっちだからって伝えておいてくれる? 僕は出迎える準備しなきゃいけないから……」
 
スタッフの男は彼にそう言うと、そそくさとゲストハウスに戻っていってしまった。
 
「へへ、せいぜい気をつけな」
 
玄関ドアから顔を覗かせていたナイフの男も、彼にそう言うとゲストハウスの中に姿を消し、玄関ドアが閉められた。
それを傍観していた彼だったが、まあ そのほうが都合がいいかと、モーテルへと向きなおった。
 
彼は先ほど、モーテルのドアが閉まる音は聞いたが、咄嗟だったため、どの部屋のドアが閉まったかまでは確認できなかった。
しかし、音がした方向から2階の部屋でないことは推測できた。
1階の6部屋のうちのどれか?
彼は、建物の中程に来たときに音を聞いたのを思い出し、とりあえず1階中央の2部屋、103号室と104号室あたりから当たることにした。
 
部屋番号は手前から奥に向かって昇順する形に並んでいた。
彼は、今いる位置から手前にあたる103号室に向かって歩きだした。モーテル内からは引き続き、物音の類は一切聞こえない。
彼が102号室の手前あたりに来たとき、不意に104号室のドアが “カチャ……” という静かな音を立ててわずかに開いた。
彼は一瞬、車の客が出てくるのかと思い、立ち止まった。
 
……しかし、少し待っても何の動きもない。
いや、それ以前にそもそも何か様子がおかしい。
ドアは開いたというよりは、レバーハンドルのドアノブが下げられてラッチボルトの部分が外れた分だけ開いた状態で静止している。
 
彼は妙な胸騒ぎがしてきた。
躊躇していると、静止していた104号室のドアがゆっくりと開いていき、建物より90°の角度で止まった。
ドアは右開きなため、彼の位置からは出入口を遮るように開いているが、そもそも人の気配自体を全く感じられなかった。そのためドアは自然とひとりでに開いたように見えた。
 
“104” という番号が書かれたドアを凝視したまま、不安を拭えずにいる彼は、だが、意を決して一歩を踏み出そうとした。
その瞬間、突如、彼の右方向に位置する102号室のドアが勢いよく開け放たれた!!
 
彼は反射的に102号室に目を向けた。薄暗く不気味な室内の様子が視界に入ったその刹那、突如、爆風に吹き飛ばされるかのように、何らかの見えない力によって102号室室内へと吸い寄せられ、声を上げる間もなく彼の体は102号室へと飲み込まれていった。
室内には椅子やガラス製のテーブルやスタンドライトなどがあるようだったが、彼の体と見えない力はそれら諸々の物を轟音とともに吹き飛ばし、最終的に彼は奥にあったベッドに背中から激しく打ちつけられ、衝撃で垂直に立ち上がったベッドもろとも奥の壁に激突したうえに、倒れてきたベッドの下敷きになる形でこの現象は収束した。
 
開け放たれたドアから差し込む外の光に照らされた室内は、それでもなお不自然に薄暗く、様々な破片や埃があたりに舞っていた。
 
先ほどとは打って変わって静寂の時が流れる。
 
完全に逆さになったベッドの下からは、彼の片腕と、わずかに頭がはみ出した状態だった。
彼は意識はあったが、何が起こったのか飲み込めず、しばらくその状態で意識の混濁が落ち着くのを待った。
やがて、自分がベッドの下敷きになっていると悟ると、ベッドの下から這いでてくる。
ベッドに強打した腰を押さえつつ、彼は仰向けに床に倒れ込み、大きく息を吐いた。
ベッドのマットレス側に打ちつけられたのが不幸中の幸いと言えるのか、それでも身体的ダメージと精神的ショックでやや混乱していた。彼は乱れた呼吸を整えながら、室内を見回した。
薄暗く、弱々しい光の中に埃が舞っているのがわかる。
そしてすぐにその光の出処である開け放たれた入口に視線がいった。
 
ここから出なければ……
 
考えるのは後だ。とにかく、明らかにヤバイこの場所から一刻も早く離れなければーー彼はそう考え、まだ少しショック状態にある身体を奮い立たせて起きあがる。
衝撃の感覚が残る重い体を引きずるようにして、室内の状況を確認しつつ、警戒しながら入口に向かって左側の壁に沿って歩いていく。
転がる椅子や、砕け散ったテーブルのガラスの破片が散乱する床を横目に、壁を這うように進んでいると、向かい側にある、ドアのないバスルームの入口に目がいく。
そこはより一層暗く、またその闇が蠢いているかのようにも感じた。
彼は考えずに早足に急ぎ、入口から外に出ようとしたその瞬間、ドアがひとりでに勢いよく閉まった!!
 
「…くっそッ やっぱそうくるかッ」
 
バーハンドルのドアノブをつかみ、ドアを開けようと試みるが、ハンドルは上下するものの、ドア自体は一向に開く気配がない。
ハンドルを下げつつ体当するがびくともしない。
 
その時、バスルームの奥から何かが破壊されるような大きな物音が聞こえ、それに呼応するかのように入口から見える洗面台のライトが数度点滅し、消える。
 
彼は破壊の衝撃音に気圧される形で後退り、壁を背にして身構える。そしてバスルーム入口を凝視しながら固まった。
 
何かいる……
 
暗がりでも洗面台や鏡の輪郭はうかがえた。
そこを小さく黒い煙のような玉が、いくつか舞うようにかすめるのが見えた気がした。
 
彼はゆっくりと視線を動かし、今いる部屋の中の様子を見渡した。
先ほどのひっくり返ったベッドの奥の壁に窓がある。両サイドのカーテンが半分ほど開かれ、そこから覗く、閉じられたレースカーテン越しに、外の荒野が確認できた。
本来ならレースカーテンを透かして陽光が部屋の内部を照らし出すはずだが、この部屋の闇はそれに抗っていた。
 
その時、壁越しにでも明確に伝わるほどのけたたましい足音を立てながら、バスルームの奥からその入口に向かって、何者かの気配が突進してくるのがわかった。
 
その迅雷の如き激しい足音が聞こえてきた瞬間、彼もほぼ同時に窓に向かって走り出す。
 
直後、バスルームの入口に人型の黒い影が現れた!!
影は突進の勢いを殺すため、その片手を入口の枠木に打ちつけた。だが、先ほどの激しさとは違い、その枠木にはダメージがなく衝撃音も発生していないようだった。
 
彼は走りながら、その黒い人影を一瞬横目に捉える。彼はそのまま床に転がる木製の椅子を手にして、なおも窓へ向かって突っ走った。そして、逆さのベッドを踏み越えて跳躍し、椅子を盾にしてガラス窓の片側を目がけて突っ込んだ!!
 
ガラスの割れる大きな音とともに、彼の体がモーテルの外へ飛び出す。
盾にしていた椅子のお陰で地面への直撃を免れるが、その勢いのまま椅子から放り出され、地面を何度か滑り転がった。
 
衝撃で体に痛みが走ったが意に返してる暇もなく、彼はすぐさま体を起こし、今飛び出してきた窓に振り返った。
 
ガラス窓の片側がフレームを残して破られ、引き裂かれたレースカーテンが一点を残してかろうじてぶら下がっていた。
そこから、なお不自然に薄暗い室内がわずかに確認できる。
やがて、そんな暗がりの中でもはっきりと識別できるような、さらなる漆黒の靄のようなものが、部屋の奥からゆっくりと窓に近づいてくるのがわかった。
 
その瞬間、彼は再び猛然と走り出した!!
急いで避難しようと、モーテルに隣接するゲストハウスへと向かう。
おそらく、あの漆黒の靄は、先ほど見た人影がまとった瘴気のようなものだろう。それがなお窓枠に近づいてきていた。
できればこのモーテルから一刻も早く、果てしなく遠ざかりたいところだったが、この何もない広大な荒野の地では、どこへ向かおうとも心許ない印象しか抱けなかった。
 
彼はゲストハウスの裏手にあるウッドデッキのバルコニーに飛び乗り、ガラス張りのスライドドアへ駆け寄って開けようとしたが、鍵がかかっていて開かなかった。 
室内には、バーカウンターの相変わらずの定位置に、スタッフの男とナイフの男がいた。
 
「おい、開けてくれ!」
 
彼は軽くガラスドアを叩きながら懇願した。
スタッフの男とナイフの男は、彼を一瞥すると、驚いたような表情で顔を見合わせた。
すぐにスタッフの男が小走りで駆け寄ってきて、クレセント錠を外してガラスドアを開ける。
彼は部屋に飛び込むと、すぐさまガラスドアを閉め、錠をかけて数歩後退りした。
そして、室内のその位置からは見えなくとも、モーテルの方角に視線をやって警戒せらずにはいられなかった。
ナイフの男も何事かと思って席を立つ。
スタッフの男が何があったのか尋ねると、彼は呼吸を荒くしたままスタッフの男に言った。
 
「ここシャッターとか付いてないのか? フロントの玄関も鍵を掛けたほうがいい、というか侵入できる箇所全部だ」
「い、いや、シャッターは付いてるけど……一体どしたの!? 何事!?」
 
その時、スタッフの男は彼がすり傷だらけで全身砂まみれなのに気づいた。二の腕には小さなガラス片らしきものが突き刺さり、体についた砂に血が滲んでいた。
 
「うわぁッ!! ちょっと、何それ!? 血ぃ出てるよ!! 待って!! どうすればいいのこれ!? 何か!! なんか止めるやつ!! 止めるやつー!!」
 
スタッフの男が狼狽えながらそう言い、厨房の奥へと消えていった。
彼は、スタッフの男の言葉で自分の二の腕の状態に気がついた。急に我に返ったように、体がショックからの疲労を感じ始め、彼は呆然として立ち尽くしたまま息を切らせ、そして考えた。
 
さっきのは一体……? 明らかに人間じゃなかった……姿は確認することはできなかったが……
いや、見た!!
確か、脱出するために走り始めた時、一瞬バスルーム入口を視界に捉えた。
あの時、現れた影……黒い靄のようなものを全身にまとっていたが、手脚が確認できてかろうじて人の形をしていたのが判別できた……だが顔の部分……顔だけはその輪郭が確認できた……顔があった!!
顔もやはり不自然に暗く影っていたが、目鼻口があるのを見た。極めて無表情ではあったが人の顔をしていた。男女の別までは判断できず中性的だった気もする。
そして、あの髪の毛……両の側頭部の髪が大きく不自然にカールしていて、まるで西洋の悪魔の頭に生えている山羊の角のようだった……
 
「……悪……魔?……嘘だろ? そんなのいるのか……?」
 
彼はぼそっと小声でそうつぶやくと、おもむろに振り返ってバーカウンターへ歩いていき、カウンターを背にしてうなだれるように席に座った。
 
ナイフの男はヘラヘラした感じでバーカウンターの席に再び着席し、小さめのまな板の上でくるみの殻をナイフで開いて中身を取りだし、口に放り込む。
彼は、後ろを振り返って奥にいるであろうスタッフの男に呼びかける。
 
「悪いけど、えっと……従業員の……人……シャッターがあるんなら今すぐ……」
 
……いや……待て、相手は人間じゃない、俺はモーテルの中にふっ飛ばされたんだ……アイツがもし悪魔的な何かだったら……
 
「へへ、何に怯えてるのか知らないが、少しは落ち着いたらどうだ? カッコ悪いぜ」
 
ナイフの男が、2席向こうに座る彼に言う。
 
(……ああいうヤツは壁とかすり抜けられるのか? ならシャッター閉めたら、逆に一緒に閉じ込められるイメージが……どんなルールで動ける存在なんだアレは?)
 
彼はナイフの男の言葉は耳に入らず、考察に集中していた。
 
「こう考えるんだよ、目標への到達や成就を誇りに思えんのは、そこに至るまでに困難があればこそだってな」とナイフの男。
 
(アレは明らかに待ち伏せて……はなから俺を標的に? それとも宿泊施設のある、ここに罠を張って、来る者なら誰でもよかったのか?)
 
「せっかちと短気はよくねぇ。安易な人生からは、価値あるものは得られないってことだよ」
 
(くそっ、さっき、あのどちらかの道を進んでいれば……戻ったのは判断ミスだったか? 表に停まってたあの車……あれも俺を誘い込むための……?)
 
額に手をやりながら、彼は眉をひそめた。
 
「言うだろ、試練てのは乗り越えられる者にしか与えられないものだ……」
と、ナイフの男は彼を見て、彼が全く話を聞いていなかったのを悟ると、怒りを滲ませ、ナイフの切っ先を彼のほうに向けて怒鳴るように言う。
「おいッ! 聞いてるのかッ!?」
 
彼は席から立ち上がってカウンター側に向き直り、奥にいるはずのスタッフの男に呼びかける。
 
「なあ、ちょっといいか?」
 
その時……
 
「おいッ!!!!」
 
ナイフの男が激昂し、思いっきりナイフをバーカウンターに突き立て、そして彼に詰め寄り、指を差しながら怒鳴り散らす。
 
「この俺を無視するのはやめろッ!! さっきからずっとお前に話してるんだぞッ!! 俺が今してる話はなあ……!!」
 
ナイフの男がそこまで言ったとき、彼は男の肩を強く押して突き戻し、男を元いた席に倒れ込むように強制的に座らせた。
間髪入れず彼は、バーカウンターに突き立てられていたナイフを素早く手に取り、ナイフの切っ先を、椅子に座るナイフの男の太腿に向けた。
 
「……えッ?」
 
一瞬のことに唖然とするナイフの男。
彼は、すかさずナイフを振り下ろす!!
瞬間、彼はナイフを回転させて逆さに持ち直し、男の太腿に、持ち手の柄尻のほうを突き立てた。
 
「なァァァァァーーーッはっはっはっはぁぁぁ〜〜〜ッ!!!!」
 
ナイフの男は、悲鳴とも泣き声とも笑い声ともつかない珍妙な叫び声をあげて椅子から転げ落ち、大股を広げたまま床に尻もちをついてワナワナする。ついでに失禁した。
 
「はぁ……悪かったよ、これで満足か?」
 
彼はそう言って、ナイフの男に非礼を詫びた。
 
「刺しやがったッ!!!! コイツ、マジで俺を刺しやがったよォッ!!!!」
 
泣きそうな声で喚くナイフの男。
 
「よく見ろ、刺しちゃいないよ」
 
そう言うと彼は、血のついてないナイフの刃を男に示し、それをバーカウンターの上に投げ置いた。
 
「お、お前何しやがる! 俺はお前がこの世界の初心者みたいだからアドバイスをしてやってただけだろぉ!」
 
そこに物音を聞きつけたスタッフの男が、ピンセットと消毒液の小さなボトルだけを手に持って、厨房の入口から姿を現す。
 
「え? なになに? どうかしたの?」
「いや、常連と新規のちょっとした行き違いだ」
 
彼はスタッフの男に振り返ってそう言った。
スタッフの男は、床にへたり込んでぐったりと疲れた様子のナイフの男を目撃する。
 
「はぁ〜、今日は何だか、いろんなことが起きすぎだよ……何だかもう帰りたい……」
「……わかるよ」と彼。
「君は幽霊を見たような顔して2階から戻ったかと思えば、あちこち駆け回って傷だらけで帰ってくるし、隣には見たこともないモーテルがいつの間にか建ってるし、ドレッドは床でオシッコ漏らしながら放心状態だし……」
「…………ドレッド?」
 
彼はそれを聞いて、目の前で両膝に両腕をあずけてうなだれて座っている男のネームプレートに目をやる。
 
“Dread(ドレッド)”
 
今やナイフの男のネームプレートは、完全に文字が判別できるほどにすり傷はわずかなものになっていた。
彼はスタッフの男のネームプレートも確認した。
 
“Worry(ウォーリー)”
 
スタッフの男のネームプレートもまた、文字が完全に判別できた。
そうしてると、スタッフの男が話を続けた。
 
「今日は車で遠くから来てくれたお客さんもいるけどさぁ。ドレッド以外にお客さんが同時に2人も来るなんて珍しいし、本来ならありがたいんだけど、今日という日はなんだかなぁ……」
 
その言葉を聞いて、彼ははたと思い出す。
 
「ハッ!! そうだ!! 車の客!! あのモーテルにいた……」
「え?」
「信じられないけど、あそこにいたのはバケモノだった……あのモーテルはヤバイ、罠だ。どう説明すればいいか迷うけど……全身真っ黒な……悪魔のようなツラした何かがあそこにいた」
「え? え?」
「俺はそいつに襲われて、それでここまで逃げてきて……」
「ま、待って!待って! ……車で来たお客さんなら、もうとっくにここに来てるよ」
「…………え?」
 
彼は一瞬何を言われたのかわからなかったが、あらためてスタッフの男に確認する。
 
「……え? なに? なんて言った?」
「さっき君とモーテルを見に行って、戻ってきたときに、もう中にいたんだよ。すれ違ったのか、お出迎えできずに申し訳なくって……ああでも、君にもすぐに伝えに行けばよかったね。飲み物を注文されてたので……悪かったよ」
「……………………」
 
彼は、リビングエリアのほうにゆっくりと振り向いた。
 
リビングのコの字に配置されたソファのうち、こちらに背を向けるように設置されているソファに、男性と思われる1人の人物が座っているのが見えた。
 
彼はモーテルに現れたあの存在のことを想起して、一瞬で恐怖と警戒心がよみがえり、後退るが、バーカウンターが背後にあるのでそこで立ち止まった。
 
(こ……こいつはッ!?)
 
タバコか何かを吸っているのか、ソファに座る男のところから、煙がゆっくりとくゆり、立ちのぼる。
 
彼は立ちすくみ、なんとか恐怖を抑えつつ、次の一手を必死に考えようとするが、詰みの状態が心に浮かぶばかりだった。
 
 
To Be Continued ➠
 

※小説タイトル変更(⇆)

現在、投稿している連載小説

「オブスキュラ −狭間の記憶−」

こちらのタイトルを

「マグヌム☆オプス −狭間の記憶−」

に変更いたします。

内容はとくに変わらず、引き続き私の個人的な “心象スケッチ内観言語化インスピレーション小説” 
となっておりますので、暇つぶしにでもお楽しみください。

マグヌム☆オプス −狭間の記憶− 第5節「モーテル①」

彼はゲストハウスを離れることにした。
行き先のあてがあるわけではないが、わずかな間に奇怪な出来事が頻発するような物件にいるよりはマシだろうと、例の道を先に進むことにした。

ゲストハウスを出ると、外の様子の違和感にすぐに立ち止まる。
ゲストハウスに入る前と何かが違う。
彼はそれが、建物と道の間にあるアプローチ部分が、褐色系のカラーコンクリートで舗装されているせいだとすぐに気づく。モーテルの前のその部分には駐車場スペースを示すための白線まで引かれていた。
コンクリートはすでに乾ききっているどころか、タイヤ痕などの擦り傷や色褪せ具合などの経年劣化と思える状態さえ確認できる。
まるでゲストハウスに入る前と出た後で、タイムスリップか微妙にズレた並行世界に来てしまったかような現象だが、彼は相変わらずこの現象にはあまり関心を示さず、舗装された地面の上を通って例の無数の轍でできた大道に復帰した。

道の先を見ると、例の藍色の歪んだ空が、以前より遥かに大きく見えた。というよりは近づいているように見えた。
そのせいなのか、そこにある大気の濃度が、以前よりもやや濃くなっているかのような、水に垂らした絵の具が渦巻いているかのようにも見えた。

彼が道沿いに視線をたどって、その行く先に目をやると、だいぶ先の方ではあるが、道はその歪んだ空間の中に消えているようにも見えた。
なぜだか今や歪みは空だけではなく地上にも達しているらしい。
彼は、あの空間の先に何かあるのでは? と考え、そこに向かって進むことにした。

今度の足取りに気だるさはなかった。むしろ焦りの見える落ち着きのない早足で道を進んでいった。
あたりをキョロキョロと伺い、警戒する。たまに振り返って、モーテルとゲストハウスがあるのも確認した。

だいぶ歩いて、やがて彼は、道がY字にカーブを描いて分かれている箇所にさしかかった。
左の道は例の歪みのほうへ、右の道は遠くに見える山の稜線へ向かって荒野をさらに突き進んでいた。
彼は右の道のほうに目をやる。右の道の空は雲ひとつなく爽やかに澄んでいた。
次いで左の道に目をやる。まだ少し道の先ではあるが、例の歪みがより色濃く見える。
しかし近づいてわかったが、その歪みはただ淀んだ藍色というわけではなく、歪みの背後からところどころ輝く光が木漏れ日のように微かに見え隠れしているようだった。

彼はしばらくの間、双方の道の先を交互に観察していた。
そして左の道に向かって、ようやく足を一歩踏み出しかけたところで、その足を止めた。

「……………………」

足が進まない。左の道を、行く気になれない。
彼は踏み出そうとした足を戻し、道の先にある歪みを見つめながら、その場にしばらく立ち尽くした。

「……何か……違うな……」

彼は胸のなかにある感覚に神経を研ぎ澄ました。
恐怖しているわけではないらしい。だが、とてもモヤモヤする。この先に進んでいったと想定したときに感じられる “気分” が非常に飽和的で億劫なものに思えた。

あの歪みの中に進んだとしても、何もない……
いや、例えそうでなくとも、進むべき次の一手としての選択肢を見誤っているような気がする……

「……こっちじゃないのか……?」

彼は右の道に視線を移した。
遥か彼方にまで伸びる道。その先には、それほど背の高くない山の稜線が地平に横たわっている。

彼はしばらく見つめながら、自分の感覚と感情の声に耳を澄ませた。

「……クソっ……無理だ、こっちも……何か違う……」

その時、彼はふと思い立った。
“引き返す” という選択肢が浮かんだのだ。
彼はその選択肢を選んだときの感覚と感情を、心を鎮めて感じてみた。

「……戻るのかよ……」

いま取るべき道において、引き返すという選択肢が唯一、彼の中でしっくりきた。もう、二股に分かれた道のどちらにも行く気にはなれない。
“引き返す” とはゲストハウスに戻れということなのだろうか? わからないが、今は来た道を戻るしかなさそうだと感じた。ゲストハウスには人がいる。まだもっと情報を集めるべきだったのか?
彼は自分がどんな目的を持っているのか……それどころか、そもそも目的自体があるのか、明確に認識もしていないはずだった。だが、なぜか “事態を先に進める” ということに関しては迷いがなかった。


そして、彼は再び歩きに歩いて、モーテルとその先にゲストハウスが建つ場所まで戻ってきた。

彼はやれやれといった感じで一息ついた。
ふと、ゲストハウスの前に1台の車が停まっているのが見えた。

「……あれは?」

その時、彼はゲストハウスのスタッフの男が、空き部屋の確認の電話があったと言っていたのを思い出した。あとから客が1人来ると。

 「車か……」

ひょっとしてこれがここに戻ってくることになった理由か?
彼は少し足早になり、ゲストハウスへと向かって歩いた。

そして、彼がモーテルの前の道まで来てさらに歩いている時、急にバタンッというドアの閉まる音がした。
彼は反射的に立ち止まって、モーテルのほうに振り向く。
モーテルは2階建てで、それぞれの階に6ルームずつある。全ての部屋のドアが閉まっており、また、動く人影やその後の物音も聞こえない。

この場に戻ったときから、モーテルやゲストハウスの全景が視界に入っていたはずで、ずっと人影は見かけなかったはず……
しかし、車を発見してから常に注意は車に向いていたので見落としたのかもしれない。ひょっとして、今のは車の持ち主だろうか?
彼はそんな風にあれこれ考えた。

いずれにしても、彼は一旦ゲストハウスに行って、スタッフの男にいろいろ尋ねようと思い、あらためてゲストハウスへと歩みを進めた。

ゲストハウス前まで来ると、玄関前にはシルバーカラーのオープンカーが1台停められていた。
車種はポルシェのようだが、車に詳しくない彼は、ただ何となく高そうなオープンカーだなとしか思わなかった。


ゲストハウスに戻ってきた彼が玄関から入ってくると、相変わらずバーカウンター内に立つスタッフの男と、席に座るナイフの男がいた。
2人の男が彼のほうを振り向く。

「あれ? お客さん、どうしたの?」

バーカウンターのもとまで赴いた彼は、早々に車の持ち主がいないかリビングを見渡すが、そこには誰もいなかった。
ナイフの男が何やら咀嚼しながらニヤついて彼に話しかけてきた。

「なんだ兄ちゃん、もうヘバって帰ってきたのか? だらしねえな。それともまた幽霊にでも出くわしたのかい?」

ナイフの男はからかうように言ったが、彼は無視してスタッフの男に話しかけた。

「ちょっと訊きたいんだけど。表に停まってる車の持ち主と話たいんだけど、そのお客って今どこにいる? さっき隣のモーテルの部屋に入っていった人がいたけど、あの人がそうなのか?」

スタッフの男は彼の問いに不思議そうに答えた。

「……え? 隣のモーテルって?」
「隣にあるモーテルだよ。あれもアンタが経営してるんだろ? 俺がここを出ていく前に言ってたろ、客が1人来るって。さっきモーテルの部屋に入っていく人がいたけど、その人が車の持ち主なのか?」

スタッフの男とナイフの男は不思議そうに顔を見合わせた。
そして、スタッフの男はやや戸惑い気味に言った。

「いやぁ、ごめん、さっきから何のことだがよくわからないけど……ウチの宿泊スペースは2階だけだし、モーテルなんて隣には建ってないよ」

彼はスタッフの男の言ってることが理解不能でしばらく固まった。

「…………はぁ?」
「確かにお客は来る予定だけど、まだ来てないし……ああ、でも車で来るとは言ってたよ、なんでわかったの?」

彼は、からかわれているのかと怪訝な顔でスタッフの男とナイフの男に交互に視線をやったが、特にナイフの男も訝しげな顔で彼を凝視しているのを見て、ジョークではないらしいことを察した。

その時、彼はまた何気に2人のネームプレートに目がいった。

“Wor……”
“Dre……”

2人のネームプレートはもう一文字判別できるくらいに傷が薄くなっていた。

「あ、あの……そのお客ならそのうち来るはずだから、何か飲みながらでも待ってるかい?」

スタッフの男がそう言うと、彼はスタッフの男に鋭い視線を送った。


ゲストハウスの玄関前。
勢いよくドアが開け放たれ、彼がスタッフの男の首根っこをつかんで、引きずり出さんばかりの勢いで外に出てきた。

「あれは何だ?」

彼はそう言って、ゲストハウスの横にわずかに間を空けて建っているモーテルを、スタッフの男に示す。
痛がり怯えていたスタッフの男は、そこにモーテルが建っているのを目撃して、あっさり素に戻った。

「……あぁれぇ? どういうこと? いつの間にこんなの建ってたの?」

間抜けな声でそう言うスタッフの男に、彼はさらに玄関前に停められているオープンカーを示した。

「えっ!? お客さん、もう来てたの? ……じゃあ、あのモーテルをウチの宿泊施設と間違えて、先に部屋に入っちゃたのかな?」
「じゃ、あのモーテルには鍵がついてないわけだ。ずいぶん不用心な宿泊所だな」
「まあ、この辺はほとんど人が来ないからね」
「そういうことを言ってんじゃねえ……」

玄関ドアからナイフの男も顔を出して、モーテルを確認する。

「おお、こりゃすげぇ……」

そうつぶやくナイフの男へと振り返る彼とスタッフの男。
ナイフの男は言葉を続けた。

「この世界はいろいろ流動的で、いろんなものが出たり消えたりするがな、この辺りでこんな大きな変化がわずかな間に起きるなんてよ、まあずいぶんと珍しいな」
「この世界……」彼は視線を落として独り言のようにつぶやく。
「お前が現れたと同時にこのモーテルも現れた……なんかお前と関係があるんじゃないのか?」

彼はあらためてモーテルに視線を戻した。
気のせいか、再び空模様がうっすら灰色に染まってきたような気がする。


To Be Continued ➠
 

マグヌム☆オプス −狭間の記憶− 第4節「ゲストハウス③」

鏡のなかに謎の自分を見たことで、だいぶ混乱をきたした彼。
疲弊して仮眠を取ることにした彼は、開け放たれたドア越しに見える階段を、眠りに至るまでのまどろみの中でヴィジョンとして視ていた。
 
その階段を上がってくる者がある。
トン……トン……という足音とともに、徐々にその気配が1階から近づいてくるのを感じる。
足音は1人分。
姿は見えないが、体重が軽そうな足音や何となくの気配から、彼はその存在が1階にいた2人とは違う人物であるのを感じていた。
 
すると、ヴィジョンが階段出口正面へと切り替わった。視点は階段出口から2mほど離れたところで、高さは床とほぼ同じ。まだ、その者の姿は見えなかったが、足音はそのまま階段を上がってくる。
そして、また1段上がったとき、その者の黒髪の頭部が現れた。
一歩一歩上がるごとに徐々にその姿が見えてくる。
 
ーー女だ。
 
腰まで伸びた黒髪ストレート、明るい若葉色のワンピースを着た若い女と思しき人物が、一歩一歩階段を上がってくる。
奇妙なことに、その顔は不自然に陰っていて、どのような面立ちをしているのか窺い知ることができなかった。
 
彼は自分が寝ている場所からでは明らかに見えるはずのない視点の映像を意識に捉えながらもーー夢の中で夢と自覚できないのと同様ーー近づいてくる女にも、このヴィジョンにも、さして疑念を抱くこともなく、そのまま まどろみの中で寛いでいた。
 
再びヴィジョンが切り替わり、彼が今寝ている本来の場所と姿勢からの視点に戻った。
彼は足をドア側に向けて寝ているため、足元のほうに開け放たれたドアがある。
そこから見える廊下ーー入口の脇から、女の足が一歩、踏みだしてきた。裸足だった。
さらにもう一方の足が歩みだしてきて、足を揃えて立ち止まった。
彼の意識は眠気の中でボヤケたままでいる。
 
(……ぅん?……何?……誰?)
 
ヴィジョンの視界にあるのは、女の両足とワンピースの裾。開け放たれた部屋の入口で立ち尽くしているその両足の爪先は、部屋の中を……というよりは明らかに彼を意識した方向に向いて立っていた。
 
(……ぉぃ……この部屋は見ての通り使用中だぁ……早く向こう行け……)
 
すると、女の足が部屋の中に一歩踏み入った。
 
(…………!)
 
この時、彼は始めて胸騒ぎを覚えた。
ヴィジョンの中で一歩一歩近づいてくる女の足。
彼の胸騒ぎは、より心臓のあたりを中心とした不快感に変わっていた。
ひどく不気味な感覚だった。実体はないはずなのに質量が感じられるような、ドス黒い何らかのエネルギーが、心臓に纏わりついてくるような感覚に襲われ、強い不安感と恐怖心が湧き上がってきたのだ。
視線のヴィジョンは女の忍び寄る足から、徐々に上半身のほうを見上げていった。おぼろげな視界の中のその人物は、確かに女性のようだが、ヴィジョンはその胸元で止まって顔や表情には達しなかった。
 
(……何だ? 誰だ?)
 
女が近づくにつれ、心臓のあたりの感覚がさらにドス黒く、硬く重い感覚となる気がした。
……何かマズイ……
だが彼の心臓以外の感覚はいまだ心地よく、彼はいまだにまどろみに身を委ねていた。この何者かの接近が、寝苦しさからくるただの夢なら……わざわざ起き上がって大げさに確認するのも間抜けかな? 彼はそんなふうに考えていた。
 
「……ねぇ……」
 
女が声を発した。
 
(…………!)
「……まだ寝てるの?」
(……………………)
「……心配……しないで……」
(……あ? なんて言った?)
「……いつもいるわ……」
 
すると女は、横向きに寝る彼の背後に寝そべってきて、彼の背中にピッタリとくっついてきた。そして、両腕を彼の両脇から前に回して軽く抱きつき、彼の耳元に先ほどの続きの言葉を語りかける。
 
{{{ あなたのそばに!}}}
 
女は、それまでの穏やかな物腰とはまるで違う、心の奥底の恐怖を掻き立てるようなおぞましい声色を発した。
その瞬間、彼のみぞおちと首の後ろから、強烈な寒気とドス黒い悪意に満ちた何かが入り込んできて、心臓と延髄を掴まれるような、そんな感覚に襲われた。
それはゾッとする怖気と吐き気をともない、重みと痛みと恐怖がない交ぜになったような、非常に不快極まりない感覚だった。
 
「おいッ!!!! 何だッ!!!! おま……ッ!!」
 
彼は飛び起き、あたりを見回す。
だが……
そこに女はいなかった。
明かり取りの窓から差す光の中に室内の埃がわずかに舞っている。
呆然とする。
 
「……今の……何だ……?」
 
彼は息を切らせながらつぶやいた。
冷や汗をかいたような感覚があるが、感覚だけだった。汗は流れていない。
ふと入口に目をやると、そこには閉じられたままのドアがある。入った時にした施錠もちゃんとされている。先ほどまでのヴィジョンの中ではドアは開け放たれていた。
 
「……やっぱり夢か?……いや……でも……」
 
彼は、いまだドス黒い感覚の余韻が残る心臓あたりの胸を手で抑え、次いで同じく不快感の残る首の後ろをさすった。
 
 
リビング&バーのある1階に、ややフラつきながら階段を下りてくる彼。
バーカウンターの席に座る例のナイフの男が、そんな彼を目で追いながらニヤニヤしている。
 
「へっへっへ、よぉ、兄ちゃん、よく眠れたかい?」
 
彼はその言葉を無視してバーカウンターまで行くと、姿の見えないスタッフの男を呼んだ。
彼は中身の入っていないショルダーバッグをカウンター上に置き、両手をカウンターに預けて息を整える。
 
「ずいぶん顔色が悪いようだが、大丈夫か?」
 
なおも薄笑いを浮かべながら尋ねるナイフの男。
なおも無視をしてスタッフの男を呼ぶ彼。
すると、ようやくスタッフの男が奥の部屋から出てきた。
 
「あぁ、ごめん、ちょっと奥にいて……どうしたの? 何か飲むかい?」
「……あぁ……じゃあ、何かもらうよ」と息を整えながら言う。
「カクテルはどう?」
「いや……酒は飲めないんだ……水、水でいいよ」
「あぁ、はい、お水ね」
 
水の入ったグラスがカウンターに置かれると、彼はそれを手に取り一息ついた。
 
「へへ、お前、酒も飲めないのか? お子ちゃまだな」
 
ナイフの男を相変わらず無視して、グラスの水を飲み干すと、彼はスタッフの男に尋ねた。
 
「訊きたいんだけど、2階を利用してるのは本当に俺だけか?」
「え? ああ、そうだけど? 今日はもう君の貸し切りみたいなものだよ」
「貸し切り?」
 
そう聞いて彼は、バーカウンターの席に座るナイフの男を横目でチラッと見る。
その視線に気づいた男が、無言の問いかけを察して答える。
 
「俺は単に飲み食いしに来ただけだ。2階に行って寝込みを襲ったりはしねえから安心しな」
「………………」
 
彼はいまだに胸のあたりに強烈な恐怖の痕跡を感じていた。夢にしては感覚がリアルすぎる。
あの女のことを尋ねようとも思ったが、起き上がってからの部屋の様子ーー入口ドアの開閉ーーの矛盾から考えれば、やはり夢と考えるのが妥当だ。だから女のことを尋ねるのを躊躇した。
彼はあくまで論理的に考えることに努めたが、この時は、そもそもこの世界が奇妙に変化をし続ける場であるという事実を、その論理には組み込んではいなかった。
考え込んでいる彼に、スタッフの男が声をかける。
 
「ああでも、そうだ。つい今しがた、部屋が空いてるかどうかの確認の電話があったから、一応そのお客が1人、あとで来ると思うけど……」
「あぁ……そうか……いや、それは関係ないな」
「何だか具合が悪そうだけど、大丈夫?」
 
スタッフの男が彼の様子を察して尋ねた。
 
「いやぁ……その……」
 
彼は2階でのことを訊こうにも、どう訊いたらいいのか迷っていた。
その時、ふとスタッフの男の胸にあるネームプレートに目がいった。
 
“Wo……”
 
ネームプレートは相変わらず傷だらけで擦り切れているが、先ほどと違って、一部の傷がやや薄れ、わずかに文字が見えた。
 
「そうだぜ、さっきから何を狼狽えてんだ? 2階で幽霊でも見ちまったのか?」
「……幽霊?」
 
そう言うナイフの男は、相変わらず薄笑いを浮かべていた。
彼は、そんなナイフの男のネームプレートにも気がついた。
 
“Dr……”
 
こちらも、わずかに文字が読みとれた。
彼は少しネームプレートの文字のことを思案してから、そのことは置いておくことにして、スタッフの男に尋ねた。
 
「この店には幽霊がでる噂でもあるのか?」
 
ナイフの男は自分が振った話題なのに、それを無視して彼がスタッフの男に話題の回答を求めたことが気に食わなかったのか、表情をムッとさせた。
 
「ハハ、いや、まさか……ここはそもそもお客自体ほとんど来ないし、幽霊だって出ようがないでしょ」
 
スタッフの男はそう答えた。
それが幽霊がでない根拠になってるのかは不明だが、とにかく彼はこの店から立ち去ることを決めた。
その時、最初の頃、荒野の果てに見たあの藍色に染まる歪んだ空のことを思い出し、あれが何なのかスタッフの男に尋ねた。
しかしスタッフの男は、
 
「いやぁ、知らないけど……そんなのあったっけ?」
 
既視感を覚える返答に、彼はすぐに気持ちを切り替えた。
 
「ああ、そうか、わかった、お世話になったね。俺はもう行くことにするよ」
「ああ、そう? もっと……何か飲んでいけばいいのに……」
 
彼はショルダーバッグを手にしながら玄関に向かって歩き出す。
 
「せいぜい気をつけなよ、何もない荒れ地だからって油断してると……」
 
ナイフの男がそう言うと、持っていたナイフをイラ立ち任せにカウンター上に力強く突き立てた!
スタッフの男は不意に繰り出されたナイフの衝撃音に、飛び上がらんばかりに驚いた。
彼は玄関でドアを半分ほど開けたところで動きを止めた。
ナイフの男が続ける。
 
「姿を潜ませているヤバイのが、いつどこで飛びだして襲ってくるか、わからねえからよ」
 
そんな言葉を聞いて、彼はナイフの男に振り返り、わずかな時、男を見すえた。
ナイフの男は彼を見つめて鼻で笑った。
彼はあらためて振り返り、そしてドアを閉めて店を出ていった。

 

To Be Continued ➠

 

マグヌム☆オプス −狭間の記憶− 第3節「ゲストハウス②」

2階への階段を上がりきると、折り返しの廊下がある。
廊下の途中、奥まったところにドアがある箇所が2つーーこれが個室なのだろうーー廊下の先にはやや広めの部屋があり、ここがドミトリーのようだ。

ドミトリーには廊下とを仕切るドアはなく、床はフローリングで、室内には貧相なパイプベッドが四隅に置かれている。
うち2つのベッドの間にはドアが1つあるが、手洗い場だろうか?
中央にはソファもないのにローテーブルが置かれ、あとは壁際に観葉植物が1つ置かれているだけの簡素な部屋だった。
部屋の2面の壁には大きめの窓があり、その先にはやはり広大な荒野の景色が広がっていた。

このゲストハウスに来る直前には、空が不気味に曇っていたはずだが、今、この窓から見えるかぎりの景色では、空は青く晴れ上がり、おなじみの根拠のない陽光がドミトリー内に注がれていた。

彼はドミトリーの入口に立ち、軍隊の兵舎のような部屋だなと思った。
ベッドの上にカラのショルダーバッグを放り、少しは体を休める “フリ” をしようとベッドに横たわる。
ギシッという乾いた音を立てる、いかにも安物な感じのパイプベッド。
彼はこの世界に意識が顕在化してから、感覚や感情というものが非常に曖昧に感じられていた。遠い昔に経験し、今は記憶の中だけにあるかのように。
これから何をすればいいのか?
そう考えながら寝返りをうつと、またベッドが音を立てて軋む。微動だにするだけでギシギシと神経に障る金切り音を絶え間なく発するベッドに、気がついたら彼は個室のドアを開け放っていた。

個室には木製のベッドにマットレスが乗っていた。
考えてみれば1階には挙動不審な2人の男がいて、うち1人はナイフを所持している。
鍵どころかドアさえないドミトリーを寝床にしようとしたのはどうかしてた。

一息ついて室内に入り、ドアを閉めて施錠した。
その個室も、これまたひどくユニークだった。
陽あたり不良……薄暗い……
正面の壁の上方に小さめの明かり取りの窓がある以外に窓はなかった。天井にライトもあるがスイッチを入れても明かりが灯らない。部屋自体も簡素で、フローリングに木製ベッドとベッドサイドテーブル、そして床がタイル貼りのバスルームが隣にあった。また、ベッドには枕と、掛け布団代わりに貧素なタオルケットが一枚設置されているだけだった。
オプションとしてバスルームこそあるが、雰囲気はまるで独房だ。

彼は気にはなったが、もはや面倒だったので、そのままベッドまで行ってそこに腰をかけた。
そしてしばらくの間、ただただ座りながらぼーっとしていた。

胸のあたりがモヤモヤする……漠然とした何かが……なぜ今この世界にいるのか、自分が何者なのか、そういったことにはあまり関心が向かなかった。
だが、捉えどころのない、ぼんやりとした微細な身体感覚が、彼に何らかの “到達地点” が存在することを訴えかけているようだった。
それがどこなのか、あるいは何なのか、検討もつかなかったが、要はその “何か” に向かえばいいのだろうか……?

彼は大きなため息をつくとおもむろに立ち上がり、疲れたような足取りでバスルームに備え付けてある洗面所へと赴き、両手を洗面台の縁にあずけると、うなだれながら再び大きな息を吐いた。
顔を上げると鏡の中には1人の男の顔があった。
つぶらな瞳で、漆黒の髪はベリーショートに整い、白い半袖Tシャツの上に、ネイビーカラーで非常にきめの細い麻の葉模様の和風の半袖シャツを前ボタン全開で羽織った男。
そして、右耳ーー鏡なので、つまりは左耳ーーには、開いた花びらが炎のような曲線を描く、スミレ色の蓮の花のデザインをしたピアスが揺れていた。

「……これが俺のツラか……」

彼がさらにため息を吐きながらうなだれた、その時、強烈な違和感を覚え、すぐに妙なことに気づいた。
ゆっくり顔を上げて、鏡の中の男の顔を再度確認する。
先程と同じ顔と服装の男がそこには映っている。
もう一度ゆっくり視線を下げて、実際に自分が着ている服装を確認する。

グリーン系のカーゴパンツ、裾からはローカットのマウンテンブーツのつま先が覗く。黒の半袖Tシャツ、そして胸元にはネックレス。ネックレスのトップは鏡の男のピアス同様、炎のような流線型の花びらをしたスミレ色の蓮の花のデザインだが、こちらは蕾のようで、わずかにしか花は開いていない。それ故に、それはより炎のように見える。

彼は、鏡の男に視線を戻し、凝視しながらネックレスのトップをつまんで持ち上げる。
鏡の男も同じポーズに、同じ呆然とした表情をしているが、鏡の男はネックレスは着けていないのでポーズは単に虚空をつまんでいる。
彼は鏡に顔を近づけ、頬を触れるなどしてじっくり観察する。左の耳たぶをしきりにまさぐりピアスをつけているか確認するが、鏡と違って自身はやはり着けていない。
だが、耳たぶを触るたびに鏡の中の男のピアスは、それに従ってあちこちの方向に動き回っている。
髪の毛に触れてみると鏡の男よりは長めで、耳元の上半分くらいまではかかっているようだ。ややウェーブがかっていて恐らく天然パーマなのかもしれない。
彼は少し背伸びをして鏡を覗き込み、鏡の男のボトムスをチェックした。
サイドラインの入ったチノ生地らしいショートパンツを穿いている。サイドラインと腰ポケットの内側とバックポケットは黒色基調の和柄のデザインとなっているようだ。

ひとしきり鏡のファッションチェックを終えた彼は、謎と不気味さが拭えないままゆっくりとベッドルームに戻っていく。その際、何度も鏡を振り返って確認するが、やはりそこには先程の鏡の男が、まるっきり同じ動作でこちらを振り返っている。
彼はこの世界に現れて初めて困惑気味だった。

ベッドルームに戻ると、彼は再びベッドに腰をかけ、やや放心状態で何も思考することなく、しばらくの間、薄暗い室内で空を見つめて座っていた。
そして、ぼそっとつぶやいた。

「寝よ……」

ベッドの上に横になると眠くなるまで時間の経過を待った。
だが、モヤモヤとした感覚が高い体温を維持しているようで、体を横にしていること自体に何だか息苦しさを感じる。
彼は何度も寝返りをうって、気持ちを落ち着かせるベストな姿勢を探したが、この寝苦しさは姿勢のせいではない気がしてきた。

床で寝るか……

彼は直感的に、床から離れているベッド上であることが寝苦しさの原因のような気がした。
ベッドから薄手のマットレスを外すと床に敷いてその上に横になり、枕に頭を沈め、タオルケットを腹の上に被せた。

彼の意識は次第にまどろみ、眠気のなかを漂い始めた。
彼は、この世界にも “眠る” という現象は一応存在しているんだな、と思った。
肉体の緊張が解ける感覚と心地よさを感じられることをやや意外に思っていると、まどろみのなかに朧気な映像が浮かんできた。

その映像はややボヤけた視点で、この部屋の開け放たれた入口の外に見える階段にフォーカスされている。階段は部屋の入口から見ると横向きに登ってくるカタチなので、厳密には階段の手すりとその向こうの階段出口が見えている。
なぜ、階段に意識がフォーカスされているのかはすぐにわかった。気配がする……何者かが階段を登ってきている気配がハッキリとわかった。
それも一歩一歩、ゆっくりと……

 

➠ 第4節「ゲストハウス③」へ

マグヌム☆オプス −狭間の記憶− 第2節「ゲストハウス①」

玄関ドアを開けると同時に、ドアに備え付けられたベルが鳴る。

彼がそこに見た光景は、入口より続くわずかな通路、その先にある部屋。
部屋の左側にはバーカウンターがあり、カウンター内に男が1人立っていて、カウンター客席にも1人の男が座っていた。
予想に反して2人の人間がそこにいた。

彼は玄関ドアから半身を侵入させた体勢でフリーズしつつ、状況を把握しようと2人の男に交互に視線をやる。

入口から見える範囲の様相は木製の家具が基調の洋風のおしゃれなバーのよう。
部屋にいたるまでの短い通路の右側は壁で、左側にはレジカウンターがあり、レジカウンターの上には年季の入ったアンティーク調のレジスターが設置されている。
また、レジカウンターの天井からは小ぶりのハンギングプランターが吊り下げられ、さらに2人の男に挟まれたバーカウンター上にも、小ぶりのポットに植えられた観葉植物が置かれていて、空間を和ませる演出がなされていた。

2人の男は、玄関から内部を覗き込んでいる彼を無言で凝視している。

すると、カウンター内で背後の棚に軽く背を預けて立っていた男が、ぎこちない愛想笑いを浮かべながら声を発した。

「い、いやぁ、いらっしゃい……」

まだ現状把握中だった彼は、反射的に声をかけてきた男を見る。
しばらく見合ったあと、彼はゆっくりと音を立てないように入口のドアを閉めると、まだ警戒を解かずに一歩一歩、家内に踏みいった。
彼はバーカウンターの先端あたりまで来て、あらためて2人の男を一瞥すると立ち止まり、入口付近からでは右の壁に遮られて見えなかったエリアに目をやる。

カウンター内の男は続けて彼に声をかけた。

「……よく来たね」

彼は男の言葉は気にもとめずに観察を続ける。
そこはリビングルームのようだ。
玄関から向かって正面にあたるほうは全面ガラス張りの窓になっていて、表の広大な荒野が見渡せるオープンエアリビングとなっている。また、その窓のすぐ外側はウッドデッキのバルコニーになっているようだ。
リビング自体は、ウォールナットのフローリングに人の背丈ほどの観葉植物が置かれるなどのヴィンテージスタイルのインテリアで、中央のローテーブルを革製のソファが囲うように配置され、バーカウンターの対面にあたるリビングエリアの壁には薄型テレビが掛けられている。そして、天井中央にはシーリングファンライトが設置してあり、ファンの旋回がテーブルとソファの一帯に優雅な風を送風している。

「……泊まっていくかい? 休憩だけでも構わないけど……」

男が再びおどついた感じで声をかけてきた。

「……ぁあ?」

彼は、男を見ずに室内を観察しながら気の抜けた返事をした。

「ドミトリー(相部屋)は2階だよ。個室もあるけど……」

彼は、その言葉通りにテレビが掛けられた壁の脇にある短い廊下の先に、2階へ通ずる階段があるのを見つけた。
そこで初めて男のほうを振り返り、そして今度は男を観察しだした。

中年の小太り、白髪交じりで耳元が隠れるくらいの長さのおかっぱ頭、着ている前ボタンのシャツの袖口をたくし上げ、毛深い前腕が覗いている。胸元にはネームプレートがついてるが、すり傷だらけで何と書いてあるのかどうも読めない。だが、どうやらこのゲストハウスのスタッフかオーナーのようだ。

「……え? 何て?」
「あぁ……いや、その……お客かなぁと思って……ごめんなさい……」
「珍しいなぁ」

不意にバーカウンターの席に座る男が、ニヤニヤとした笑みを浮かべ、馴れ馴れしい口調で話しかけてきた。
彼は、バーカウンターの男に視線を移した。

「ここは滅多に客は来ないんだが。あんた自分探しの旅でもしてる途中かい?」

男は黄ばんだ歯を見せてニヤつきながらそう言った。その歯の一本は抜けている。
スタッフの男は助かったという感じで安堵の表情を浮かべる。

彼はバーカウンターの男を即座に観察した。
男はつなぎの作業服を着ていて、無精髭を生やし、額から頭頂部にかけて禿げ上がっていて、側頭部と後頭部の髪は長髪でざんばらに乱れている。あまり清潔感の感じられない風貌だ。
一見してあまり関わりたくない要注意人物な印象を受ける。
その馴れ馴れしい口調もさることながら、男の目の前のカウンターにはフォールディングナイフーー折たたみ式のナイフが置かれていた。
クルミの殻が散乱していて男が何やら口に放り込んで咀嚼していることから、男はクルミの殻を開けるためにこのナイフを使っているみたいだが、この男とナイフのコラボではクルミ以外のものも切開しかねない予感がしてくる。
カトラリーではないこのナイフを、公共の施設内でなぜ堂々と使っているのか。コイツもこの宿泊施設のスタッフか? いや、身なりや態度からすると、ただの常連客……?

「……聞いてるか?」

ナイフの男は、入ってきてからろくに言葉も発さずに部屋を見回してばかりの彼を訝しんで、そう尋ねた。

「……え?」
「……妙な奴だな……親父が困ってるだろ」

ナイフの男にそう言われた彼は、その男の胸元にもネームプレートがあるのを確認する……が、こちらもやはり擦り切れていて、何と書いてあるのか判別できない。
次いでスタッフの男に目をやる。
スタッフの男が自分に注意が向いたことにビクついていると、重ねてナイフの男が言った。

「泊まりなのか休むだけかぐらい、ハッキリしてやれ」

スタッフの男は慌てた様子で、

「ああ! いや、無理に泊まらなくても……何か飲んでいくだけならそれでもいい……んだけど……」

彼は思った……なんでコイツはこんなにキョドってるんだ?

「……いや、喉は渇いてないからいい……それじゃあ……とりあえず休ませてもらう」
「はぁ、そ、そう、よかった……じゃあ2階のドミトリーか個室、どっちでも自由に使っていいよ。ウチはお代もいらないから」

スタッフの男が胸をなでおろすように言うと、彼はその言葉に対する疑問を口にした。

「……お代?……お代って?」
「……いやぁ、知らないならいいよ……あ、今は他に客もいないし、予約も入ってないから、2階全部自由に使ってくれてかまわないよ。個室にはバスルームもあるから」
「ああ……ありがとう」

そう言うと彼は階段へ向かって歩き出す。
バスルームと聞いて、彼は自分が荒野を歩いてきて砂まみれであることを思い出した。
入浴ついでに服を洗ったほうがいいだろうかと考え、自分の身なりを見下ろすと、彼は急に足を止めた。

汚れていない……黒のTシャツの袖から覗く腕にも上下の服装にも汚れが見当たらず、砂粒1つ付着していていないことに気づく。
彼は自分のズボンの状態を確認し、頬に触れ、両手を幾度も翻し見て、さっきまで存在していはずの、自分が荒野を歩いてきた痕跡を探すが、やはり白く煤けた箇所1つ見いだせなかった。

そんな彼を、背後から2人の男が不思議そうに見つめていた。
ナイフの男が彼に声をかける。

「どうかしたか、兄ちゃん?」

彼はその呼びかけに振り向いて言った。

「……いや、なんでもない」

 

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マグヌム☆オプス −狭間の記憶− 第1節「道」

(あぁ……広い……飽きるほど広い……あとどれほど続くんだ、この道は……? いや、この世界は……か……)
 
見渡す限りに白茶けひび割れた大地。
幾重にも重なり連なる浅い轍が巨大な道となり、果てしない荒野の彼方まで伸びている。
 
その道を、彼は歩いていた。
 
彼は荒野の旅人らしく全身あちこち砂粒や石灰にまみれ、疲れたような気だるい足取りで、それでも休むことなく歩みを進めていた。
 
奇妙なことに空には太陽がなく、にも関わらず乾いた陽光が上空から絶えず降り注いでいた。
 
暑さを感じるような気もする……
渇きを感じるような気もする……
こういう場所ではそういった類の感覚を感じるものだったような……よくわからない……
 
なぜ自分がこの道を歩いているのか彼は知らなかった。そもそもどうやってここに来たのかも。
気がついたらここにいた。
だが、とにかく今はこの道を歩けばいいのだろう。他にやることもないんだろうしな。
彼はそう考えていた。
 
彼方の地平線には霞がかってやや藍色に空を濁すゆらぎが、道行く先とその左方の空間に広がっているのが見える。
それが何なのか、どういう現象なのかは知る由もない。
 
彼は時折、その歪みに視線を向けつつ、それでも大して気にもかけずにとぼとぼと歩いていた。
 
空に目を向ける。
 
(……気のせいか? ほんのり靄ってきたような……いや、最初からあんな空だったか……)
 
絶え間なく続くと思われたこの干からびた世界も、彼が見出したようにわずかながら空模様が変化してきた。
彼ははじめ、前方の薄藍色のゆらぎを時折見ていたせいでそのように錯覚したのかとも思ったが、どこからともなく降り注いでいた陽光は今や、微かに灰色がかって淀んだ雲……というよりはモザイクのような靄にところどころ遮られ、あたりは薄暗くなってきたのが今度は確かに視認できた。
だがそれでも空の青さがその背後にあるであろうことは、靄の網目から確認できる。
相反するものが水と油のように混ざりきらないような不気味な見た目の空となっていた。
 
(ずいぶん半端だな……どうしたいんだか……)
 
その時、彼は前方、道沿いの右手に視線をやったあと、数歩 歩いて立ち止まった。
そして、しばらく立ち尽くして見つめると、彼は再び歩きはじめた。
 
ほんの先程まで、見渡す限りに何もなかった荒涼とした大地……今、彼の眼前には2軒の建物が建っていた。
 
道沿いの右手ーー手前の建物は2階建てで白塗りの壁にグリーンの屋根、一見すると欧米風の普通の住宅のようにも見える。
その奥に建つ建物は、同じく2階建てで白塗りの壁だが、こちらは真紅の屋根で安めのモーテルといった外観。上下階それぞれ6部屋ずつ、計12部屋が確認できる。
 
彼は住宅風の建物を凝視しつつその手前までやってきて、歩速をゆるめて立ち止まった。
両の建物を交互にしげしげと眺める。
 
道と建物の間には、周囲と同じ様相の地面が一定のスペースあり、道沿いの一区画には芝生の植え込みがあって青々としている。そして同じ場所にさほど背の高くないソテツかヤシのような木が植えられていて、その手前には膝下くらいまでの高さの “Guest House” の切り文字のモニュメント看板が自立し、そこが住宅風のドアへのアプローチ部分であることを示している。
 
「……英語か……」
 
彼はこの世界で初めて見る緑や人口建造物を二の次にしてそう言った。
そして、あらためて周囲を見渡しながら両手についた砂粒や石灰をはたき落とし、さらにズボンの太もも部分を軽くはたいて付着していた砂ぼこりを大気に散らした。
 
その時、彼は自分の装いを見て一瞬固まった。自分がショルダーバッグを斜めがけしていることに初めて気づいたのだ。それは帆布素材でところどころ擦り切れている。
 
「……これは……俺のか?」
 
彼はバッグ部分を片手で雑につかんで上下左右あらゆる角度から観察する。
軽い……
ベルクロで閉じられたバッグのかぶせの部分を開いて中を覗くと、案の定、中には何も入っていなかった。
彼はたった今費やした無駄な時間に眉をひそめ、ゆっくりとバッグを閉じて、再び視線を目の前の建造物へと送った。
 
それぞれの建物には明かりは灯っておらず、人気はないように感じた。
 
彼はあらためて地の果てにある薄藍色のゆがみをしばらく遠くに見つめたあと、住宅風の家に向き直り、そちらに向かって歩き出した。
ザクザクと踏み鳴らされる足音。あたりを観察しながら家に近づく。
 
家の道路側はウッドデッキーーいわゆるカバードポーチになっていて、テーブルと2脚のイスが置かれている。
彼はその空席を眺めながら歩き、カバードポーチに上がって玄関ドアの前で立ち止まった。
内部からは物音は一切聞こえず、しんと静まり返っている。
 
彼はドアを周縁沿いに見回すが、さほど迷うこともなくドアノブに手をかけ、そしてドアを開けた。
 
➠ 第2節「ゲストハウス①」へ